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2009年08月27日

覆面作家企画4:Fブロックの感想

Fブロックの感想でございます。

盛大にネタバレをかましています。未読の方はご注意です。
明後日の方向に向いた深読みをしている可能性があります。
作品には直接関係ないかもしれないけど読んでいる最中に呼び起こされたイメージ方面に話題を展開すると感想が長くなる傾向があります。
勢い任せにおかしなことを口走っている場合があります。
勢い任せに書いているため、所々読みにくい・理解し難いところがあると思いますが、仕様です。
作品によって感想の方向性が変わります。仕様です。

お手柔らかにお願い申し上げます m(_ _)m



F01  より道

ニーヤニヤニヤニヤニヤ! ラストのニヤニヤ度の高さときたらマジぱねっス!
やー……青春だねぇ、お二人さん。
そして、巧い作者さんだなぁ。展開が非常に綺麗。
序盤からこれでもか! と炸裂する後輩くんの子どもっぽさ。無邪気と言ってもいいし、作中の言葉を借りればまさに子犬のようなキャラクター。それを相手にするのは、時にチョコパン投げつけチョップをかまし、時にそっけなく振舞う主人公の、少しだけ大人側にいるまさに“部活のマネージャーをしている先輩”という顔。
天真爛漫っぽいのに結構豪腕な後輩に押し切られて『放課後デート』をすることになった主人公の態度が面白い。時折、隠れた感情が見えるのがまたニヤリとさせる。マクドナルドでダベって、それから後輩くんの母校(中学)へ。その母校を見たいと思い、自分の知らない後輩の姿に興味を飛ばす主人公。特別な想いが見えてきた頃に、ふっと作者さんは差し込んでくるのですよ、後輩くんの、主人公が興味を示した、彼女の知らないその後輩くんの顔を。“後輩”ではなく、“先輩”であった後輩くんの顔を。それは少し大人っぽく、ここですでに冒頭から提示されていた“先輩と後輩”の関係性に歪みが生じ始める。
そう! 自分の知らない後輩の顔を見て、男性を感じちゃう女先輩のドッキリ感ですよ! って何言ってんだ僕!

いや、まぁ、言葉はともかくその構図。
さらに畳みかけられるのは、後輩くんが自分の後輩を思うことで見せていた――つまり、あくまで自分の後輩に対して見せていた“男の顔”を、今度は好きな女性――つまり、先輩こと主人公に対して真っ直ぐに見せるという展開。
ここまで段階を経て変じてきたその関係性を、主人公が努めて“先輩”でいることで作っていた壁をあっさりと貫く後輩くんの実質告白が、最後の主人公の顔を実に見事に彩るのですよ。彼女の動悸が、字面を通して聞こえるようなのですよ。凄まじい破壊力。
主人公、絶対に耳どころか首まで真っ赤だ!
もうね。
強烈なストレートを顎にもらって、くらっくらです。


ところで。
マック、と使ってるから作者さんは東の方かな?
いや、作中人物が標準語だからそれに合わせてマックにしているだけの西の方、って可能性もあるけど。
もしこれをフェイクにしているんだとしたら、物凄く細かいところまで罠を仕掛けてきていそう。


※相当カンニングしちゃってるけど、これはkannaさんだと思う。理由は、えーっと、感覚的だけど、雰囲気。『空坂ロマンス』の印象とばっちり当てはまる。 




F02  ばみゅーだ☆とらいあんぐる

おっと? このブロックはジュブナイルが多いのかな? 二作品目ー、と思っていたら。

えっと……ビックリしました。ええ、正直驚きました。なんとまぁ超展開。僕の気分は主人公の大吾とシンクロ率120%、多分。ポカーンとしながら読み進めてました。というか、あんまりに意表をつかれてポカーンとするしかありませんでした。


――思考を整理中――


幼馴染は魔法少女だった! その名もズバリ、ばみゅーだ☆とらいあんグハ!☆(゜o゚(○=(-_-#

そ、その名もズバリ、マジカル☆レイカ!
って、今になって何だかじわじわきた! いやいやいや、作者さん、思いきった変化球を投げてきたなーって思ってたけど、落ち着いてみれば、実はこれ奇を衒ったように見えて王道なんでしょうね。
ケンカ友達な幼馴染。普段は異性として感じない彼女だけれど、違うクラスの“王子様”に目をつけられて、それで主人公は明確に自分の気持ちを把握しないまでも不愉快になって。それで告白シーンを見学してちゃかそうとして、失敗。ここで相手に泣かれたら通常の恋愛系ジュブナイルでしょうか。
しかし、魔法少女系になるならば。
やっぱり主人公が謎の組織に狙われて、そこに現れた謎の魔法少女に助けられる! いや、今回の場合まったく謎ではなかったけど!
Wiiのドラクエとか(ソードでしたっけ?)、『だが断る』とか、伝説の桜の木とか、色々とネタも仕込まれているし……作者さん、きっと全て狙ってやってるんだろうなぁ。ということは、この系列のベタをかなり研究されているんでしょうか。
中一というまだ小学生気分の抜けきらない男子と、どうやらその彼を気にしているらしい、男子よりも精神的に大人になっている女子(しかも、この場合は大人と戦う魔法少女であるということで、半ば大人の世界に入り込んでいるという女子)のいちゃいちゃっぷりに、何だか中てられそうでした。
殴られるのが嬉しいんだねー。いちいちからかっちゃって。で、分かっていながらからかわれるのもまんざらじゃないんだねー。で、もし急にバミューダって呼ばれなくなったら、彼女は魔法少女の力を失っちゃったりするのかな?


そうそう、『大豆生田』って実在する名字なんですね。
しかも、ググった限り由緒もある名前のようで。




F03  魂に著作権はない 注

(※思い返すと感想には不必要すぎるなと思う表記があったので、訂正@090904 AM3:10。作者さん、不愉快な思いをさせていたらすみません)

……うーむ。
と、読後考え込んだ、僕。
タイトルからどういう作品なんだろうと思っていたけど……これはまた、どの部分を切り込んで感想を書いたものかなぁ。や、内容が肌に合わないとかそういうことじゃなくて、扱われている要素がどれも簡単には言葉を綴れないものなので……。

さて。
多分、作者さんは言いたいことが一杯あったんだろうな。まず20ページじゃ収まりきらなかったんだろうと思う。かなりの情報量がガシガシ削られているような気配です。
この作品を読み終えた後、色んな思索の道が頭の中に走りました。
クローン人間について、またその倫理的な諸問題。アイデンティティについて、また自分のクローンがいるために起こるクライシス。意味深なタイトル、また、そのタイトルはクローンを作ることへ向いているのか――そのため自身の“魂”をも複製することに対してつけられたのか。それとも人間がコンピュータ内に存在するようになる――同時に、いくらでも自身の“魂”に手を加えられる状況に対してつけられたのか。だとすれば、作者さんはそれらに対し、この作品では否を唱えているのだろう。
思索を呼び起こす引っ掛かりが、実に多い作品です。
離婚して、どちらも娘を持つ親。両親がどちらも娘=自分を持つがためにアイデンティティが揺るぐ主人公。こちら(読者)としては、主人公である彼女は、本当に「オリジナル」なのか、という疑問さえ浮かんでくる。
クローン作成が許可されているが故に起こる、そのアイデンティティ・クライシスを避けるために作り出された『バディ』というシステム。でもそれも孤独までを共有することは出来ず、結局は主人公が凶行に走ることを止められない。
くり返される『リソースが無限ならすべての人を幸せにできる』というキーワード。しかしそれはリソースによる人の幸福のみを保障するようなもので、そこに愛情は含まれない――という重大な欠陥。
欺瞞に満ちている。
この世界は欺瞞に満ちている。だからこそ『リソースが無限ならすべての人を幸せにできる』という合言葉で、つまり逆に“リソースで満ちていれば人は幸せになれる”という思い込みで、世界の欺瞞を覆い隠している。主人公が途中で感じた『何か、靄のかかったような不満が残る。』という感覚は、おそらく、それを示しているのだろう。確かに父と母は双方娘――という「資源」――を持つことで幸せなのかもしれない。だけれども、父と母が双方娘を持つことでその娘自身が「両親を独占できない」ことで幸せになれないという皮肉な事態。リソースで満ちているからこそ起こる、不満。
明らかに、『リソースが無限ならすべての人を幸せにできる』という価値観では、本質的に全ての人を幸せにすることはできない。

と、思ったところに現れる、『リソースが無限ならすべての人を幸せにできる』の本当の意味。
なるほど、確かにリソースが無限にあれば、いくらでも世界を複製していけるだろう。それであれば、確かに全ての人を幸せに出来るかもしれない。
ただ……。
それもまた、別の、何かを欺いた価値観なんだろうけども。結局、やり直したところで、その人の記憶に、また「魂」……おそらくは、バディにも伝わらぬ孤独を感じた部分に、痛みが積もっていくということなのだろうから。
ああ、それで『魂に著作権はない』なのかな。その、自らの魂ですら排他的に利用する権利を持てないという、ヨリカ達この作品内の人間たちの状況を示して。


最後に。
多分、『タヨ』は人間じゃないんでしょうね。バディと銘打った、コンピュータ側の管理プログラム、といったところでしょうか。
で、もしそうだとすると、最後の、主人公の希望はすなわち絶望につながるのでは――と空恐ろしくなる。自分のオリジナリティとアイデンティティを保証するための存在が、人間ではないと知ったら……。




F04  境界線上の魔王

なんとも愛嬌一杯の話であることか。
三分の二は脚色入りまくりの伝説。後の三分の一は流布され続けている伝説の、実はこんなんでした、というネタバラシ。
そっかー。なるほど、帰って来なかった者がどうなったかって、そうなってたのね。そりゃ確かに帰ってきやしないや。だって「そこ」が変える場所になっちゃってるんなら。
『魔王』もうっかりさんだねぇ。『道程を振り返らない者や帰る先がないものがいるとはおもっても見なかった。』てのもそうだけど、そこからうっかり自分のいる場所にいていいと受け入れちゃうとは。口は災いの元とは言うけれど、まぁ、お人好しが言質取られちゃったらそうなるのも仕様がないやね。なし崩し的に国にまでなっちゃうだけの人間を抱え込むとは豪快だけど、それほどまでの偉業を達成するなら魔王ともかく“王”の器ではあろうさねぇ。

……と、妙にほのぼのしながらページを閉じようとして……ん、待てよ? と。

結局、魔王、あなたは何者なんですかい?
いや、だって、まぁ大分脚色はされているようだけど、どうやら本当に強いみたいじゃない。棒――木刀でこれまで大勢を相手にしてきたようだし。『境界に突っ立っていればよかったときとは』というからには、やっぱり境界に突っ立つ必要と、その理由があるわけでしょう? ということは、やっぱりあなたの立つより先は『人去りし地』か、それに近いものなんでしょう。それ以上行っちゃいけないと言うのは……例えばそこが何らかの聖地だったり魔物が封印されてたりするわけでしょう? それだけ頑固に『その道の先に行くことを止め』続けてるってことは、例えばその道の先に人が入ると世界が滅びちゃったりするんじゃない?
……さ、作者さん!?
肝心なことを書いてませんよ!
いや、描かなかったんだろうけど、これ絶対裏設定たくさんあるでしょ! 道の先にいかせない番人とかとってもRPGな匂いもするから、例えばオンラインゲーム内の話とか! それともそれは単なる僕の見当違い!?




F05  宙の道しるべ

まず先に、『伝記』中の記述が三・一・三人称と移る形態。で、それを頭と尾で挟む現在の「読者(主人公の“あたし”)」部分が一人称。並べると「一・三・一・三・一」となる。
なので、冒頭の節でこちらは一人称は“あたし”の視点だと認識しているので、伝記中、急に一人称が出てきて、あれ? これは“あたし”の視点? だけど“ぼく”って呼称しているしな……と戸惑ってしまった。表現したいことを考えると伝記中の真ん中に一人称を持ってきたいのは分かるけど、ならばいっそ伝記も一人称にしてしまった方が統一されて良かったのかも。それとも、全て『++++++』になっている区切りを「“あたし”部分と伝記部分とを分ける区切り」「伝記中の区切り」という感じに二種類用意して、分かりやすくするとか。例えば「一/三・一・三/一」こんな感じに。
……とかね? くどくど偉そうに言ってみましたが、純粋に、つっかかりを生み出しやすいだろう構成を勿体無く思ったんです。


と、いうのもね、この話すごく綺麗なんです。
伝記、ああ、よく子どもの頃によく読んだ! その思い出が、今自分の置かれている現実の、文明の利器をもたらしてくれた偉人の話を読んで――例えばエジソンの伝記を読んで電気を見上げて見た幼少の記憶が、“あたし”の感じているであろう静かな感動に掛かる。
そうなんですよねぇ、僕らの使っている物は誰かが作り出したもので、その中には、誰かが「それ」を作りたい・作り上げなければならないと思って生み出した物もたくさんあるんでしょう。そしてそれぞれに、ドラマがあるんでしょう。
宇宙の距離を大きく縮めた博士の悲恋が……切ねぇ……。ロイディとヒルディアの、幼い博士と、彼が捜し求めた彼女の淡い恋の物語が、目頭を……目頭を!
『亜空間跳躍航法の発見を促した痛ましい事故』。それがなければ、ロイディは今頃ヒルディアとの間に生まれた子、それから孫に囲まれて幸せに暮らしていたかもしれません。
けど、その場合は“あたし”が簡単に卒業旅行に宇宙旅行を選べるような時代は来ていなかったでしょう。いや、いずれは誰かがその航法を発見していたと思います。けれど、ずっと後になっていたことでしょう。
『亜空間跳躍航法の発見を促した痛ましい事故』によって失われた幸せが、歴史を大きく変える技術を生んだというこの皮肉めいた帰結。『だからこの亜空間跳躍航法を発見した人は本当に偉い』と旅の浮かれ気分でこの事実を――それも舞台となった星の傍らで(もしかしたら過去、博士がいた場所そのもので)知った“あたし”は、博士の「成功」に立ち合ったその碧い星をどんな思いで見るのでしょう。きっと、浮かれ気分はこの場に置いては頭を垂れるしかないでしょうけども……。

それにしても博士の格好良いことよ。そりゃあ貴方を笑うわけにはいかない。笑えるはずもない。老いた彼に届いたヒルディアのテレパスが、優しくて温かくて琴線を揺さぶる。
その直後に現れる一文がまたいいんだ! 碧い星が、新しい技術を確立した博士らを『優しい無関心で見守っていた』という描写。星の存在感が、ここでぐっと力と重みを増して、この作品を最後にどこか切ないのに美しい碧色に染め上げるんだ……。




F06  落とし物

うおおおおお! 卑怯だ! 猫、家猫・野良猫、忘れゆく者・忘れ去られていく者、家族、猫……卑怯だー! 作者さーん!
こんなん心打たれないわけもしんみり来ないわけもないじゃないかーーーーー!(←褒め言葉)

と、叫びましたが。
実際、冒頭のほのぼのムードはどこへやら。拾われて幸せな猫生を送る主人公・チャロの話かと思えば、焦点はむしろ“老い”。それも、いくらか多重構造を持っていそう。
はじめの頃はね、僕はこの話、物知り博士の野良猫と家猫の話を通じて人間社会をユニークに風刺するタイプの話かな? と思っていたのですよ。店の人に“誤魔化されて”話と違う餌を買わされる、とか、メタボの話とか。ちょっとボケ始めた老猫に、繰り返し話される同じ話に辟易する若猫の構図(“猫”を“人”に置き換え可能)とか。
けど、唐突に挿入されるエピソードが、この作品の色を変える。何と言うか……手品のよう、とも言えばいいのかな、気がついたら、見続けていたはずの色がなくなっていて、そこには全く違う色が差し込まれている。
博士の孫が、チャロだという事実。そしてそのことをチャロは博士――祖父に言っているのに、祖父の記憶は時間を遡り、目の前に孫がいるのに、孫がいるはずもない“その道”に行こうとする。そこは過去自転車に撥ねられて、人目には死んだと思われるほどの怪我を負った道だというのに、執念じみた決意で。そしてそれを聞かされる孫。自分が孫だと言っても数日経てばそのことを忘れられてしまうという絶望的な悲しさ。だけど、チャロという“孫ではない存在”としては認識され続けるという辛さ。
途中、さらっと、それこそ風刺の一つかな? という認識を与えられたに過ぎなかった一文がありました。それはチャロの飼い主の祖母がアルツハイマーだということ。
もしかしたら、飼い主の睦美ちゃんは、チャロと同じ思いをしているかもしれません。いや、多分、きっと同じ思いをしているんだと思う。症状の表れは個人差があるからこうだと断言はできないけど、もしかしたらチャロとは逆で、“現在の自分”が孫だとは認識されず、「睦美はどこ?」と聞かれているのかもしれない。でも、その寂しさや辛さは同じものでしょう。一方で、忘れ去っていく者にも、忘れてしまうという辛さと悲しさがある。
猫を主役に描かれているストーリーは、その背景に人間のストーリーも重ねている。僕はこの作品をそう読みました。

だからね?

効くんですよ、最後のシーンが。
孫に擦り寄られながらも、孫とは認識しないままに喜びを表す祖父の姿が。
その祖父に擦り寄りながら、祖父の記憶の拠り所となっている道に、祖父の思い出が落ちているかもしれないと期待する孫の姿がね? ……切々と、効くんです。




F07  偽りだらけの道筋 注

西部劇。
軽妙洒脱な文章。小気味のいいテンポ。『明後日おいで』という一見「誤表現?」と思わせるセリフや『ジョニー・ボーイ』という名の由来とそこから発展する酒の話と、ところどころにある仕掛けにはまってニヤリとさせられる。
キャラクター設定も見事なもので、主人公は実の妹を撃ち殺してしまった保安官。そしてその「事故」の際に父までも失い、銃を撃てなくなった彼が行くことになった先で待っていたのは、キッカケは道ならぬ恋から始まった因果によって殺し合いをしようという異母兄妹。
対比によってくっきりと人物の造形が浮かび上がるから、何ともやるせない物語が、変に影に入らず常に荒野の陽射しの元で動き続ける。
ジョスの部下らが彼に殺される場面で急に出てきたり、マディとジョスの決闘を邪魔した男は誰? 等、ちょっと決闘部分が急に過ぎたかな? とも思うけど、ページ数を考えたら省かざるを得なかったのかな。

それにしても、確かにジョニーの思うとおり、女は強い。
道ならぬ恋にマディとの仲を引き裂かれ、結果父を殺してならず者になったジョス。
油断が招いた事故で妹を撃ち殺すという結果を作り、銃を撃てなくなったジョニー。
しかし、マディは異母兄とはいえ、恋仲であった男を撃ち殺したという十字架を背負いながらも、たくましく生きる。その笑顔が嘘つきの笑顔だとしても。

しかし、マディは、一方で男二人と違い、決着をつけられたが故にそう生きられる……というのもあるかもしれませんね。
ジョニーは妹も父も死んだ今、妹を撃ってしまったという事実に対し、己の心の置き場を決めるための決着は得られないでしょう。
しかし、マディは決着をその手でつけられた。それも――ジョニーはまさかなと首を振ってしまったけど、おそらくは妹……そして愛した女の手で人生に決着をつけたいと願っていたであろうジョスの希望を叶える形で。そしてそれはもしかしたらジョニーの願望でもあるのかもしれない。妹を殺してしまうくらいなら、妹に殺されたほうがいい、と。殺してもらいたい! と。

『偽りだらけの世の中』とジョニーは言う、この作品。
しかしその偽りは人が生きるために作り出した“知恵”なのでしょう。そうして嘘つきになっていくのが、大人になるってことなのかも……なんて、バーボンの強いアルコールが喉を焼き、特有の香りと共に鼻に抜ける感覚が、こう、読後にスーッと。
あー。強い酒が呑みたい。




F08  からたちの歌

わっおー。出だしから予想もつかないホラー♪
はっはっは。涼しくなったなったー。

この話の怖さの肝だと思うのは、個人的に三点――「漠然」「“箱庭”的な世界でのループ」「完全ではない記憶の操作」の三セット。
はっきりしない何か……というのは心理に不安や恐怖を差し込んでくるもの。漠然とした違和感、漠然と思い出せる記憶、だけどどれもはっきりせず、しかしそれらは段々と、しだいにしだいに、まるで輪唱歌にどんどん声が重なってくるような勢いで、厚みを増し、迫力を増し、その正体を現していく。一気にドーンと提示されるのではなく、一人称の特性というか……例えば、
『(前略)それじゃあまるで、まるであいつみたいに、
「あれ?」
 さっきまで出掛かっていた言葉が、(後略)』
のように、思考の流れをスムースに見せながら、それと同時に主人公の違和感の芽生えから結実までをダイレクトに見せられながら、やがて読者は主人公の思考をトレースしきったところで(つまり感情移入が深まったタイミングで)“真実”を突きたてられるからゾッとする。そしてこれを巧く成立させている演出が、「音のない道」でしょうね。風の音も、蝉の声もない。だけど無音であることを知った途端に文字に現れるピアノの、輪唱の旋律が心をかき乱す。かき乱して不安を煽り、そこにコウスケの禍々しさが淡々と表現されていく。そして淡々としているからこそ(ここも明確な恐怖の対象を出すのではなく、恐怖を煽る対象は違和感のような漠然とした輪郭をしている)、怖い。
さらにクライマックス提示されるのは、主人公が囚われている世界はどうやらコウスケの作った世界であるらしいこと。となれば、主人公が助かるための出口がどこにあるのか、それとも出口があるのかすらも解らない。もしかしたら脱出は不可能なのかもしれない。閉鎖されている空間で、しかも同じことが永遠とくり返されるという空恐ろしさ。
さらに、その空恐ろしさにスパイスを効かせているのが、主人公の記憶が完璧には改竄されていないということ。
主人公は、“常に気づく”んですよね。『あいつ』って誰だったっけ? って、『両脇をからたちの生垣で囲われた、一本道。』を歩く度に(あ、一読目は何気なく読んでたけど、両脇をからたちの生垣に囲われたって、それだけで怖いわ)。
それからはまたコウスケと問答をして、彼は本当のことを思い出す――その寸前に再びスタート地点に戻される。
これ、コウスケはあえて記憶を完全に都合良く操作していないんでしょうね。もしそれができるなら「二人」まとめて操作して、何事もなく“人間として”付き合い続ければいいのに、それをしないというのは「二人」をこれまで自分を裏切ってきた人間の代表として自分のための生贄にしたんでしょう。だから、主人公がふいに『あいつ』を思い出すようにして、再スタート時に必ず『にやりと笑う』。
その、何という悪意。
……うおお。

あと、何か現代日本の空気感も表しているような気もして、もしそうだとしたら作者さんてば物凄い高度な風刺をしているんじゃあ? と、うおおおお。


ところで、からたちの木って魔除けに使いましたっけ。や、僕が知らないだけという可能性も非常に大なんですが。
これがヒイラギだったら『コウスケ』は鬼で確定で良かったんだけど……からたちだと何だろう? やっぱ鬼でいいのかな。それともやっぱり得たいの知れない……。。。




F09  シーキング☆ザ・プリンセス

おー、ある意味ループもの続き。

しかしこちらはコメディ。
はじめは何の話だ? と戸惑うわけです。こういう形式は何て言うんだろうな……全文会話? 一人称の一形式だとは思うんだけど、とかく、地が語り手の「語り」でろくな説明もなく進んでいく。それこそ時代背景とか何とかを省かれちゃったまま進んでいく。戸惑いながらも暴走気味にツッコミ多彩の言葉をニヤニヤ笑いながら読んでいくと、時々挿入される「語り部と聴き手の会話」をやっぱり戸惑いながら、かつニヤニヤ笑いながら読んでいく。何か演劇部とかで新しいシナリオ練ってるの? なんて思いながら、でもどこか聴き手も語り部の話す内容に独自の解釈を持っているらしいし、やけに語り部が『姫』について詳しすぎることにますます戸惑いながら――まさか歴史家が互いの解釈をぶつけ合ってるわけじゃなかろうな。立場を変えれば事情が変わる、みたいな――なんて色々予想しながら読み進めていくと……


そうきたかーーーーーーーーい!!


なるほどねー。そりゃあ聴き手も微妙に事情通なわけだ。ていうか語り手もやたらと事情通なわけだ。
しかも性別転換して転生しちゃって、二人とも自分の前世に嫌悪感持ってて、それなのに相手にはいいイメージを持っちゃってるという滑稽ぶり。いや、面白い。
こちらとしては『姫』が本当に自己中だったのかどうかは『代背景とか、土地柄とか、そういう説明に時間を食いそうなことはとりあえず省』かれちゃってるから判断がつかないけど、とりあえず『王子』、彼は腹黒いな。で、非道いな。そりゃ聴き手こと莉真ちゃんからすれば立場的にも殴りたくなろうもんさね。

……でもさ。
にしてもさ、莉真ちゃん、何かしっかり前世の性質を受け継いでますね。いや、あんたも黒いわ。この分だときっと悠一郎くんも『姫』っぽいところを受け継いでるんだろうなー。個人的には『無邪気で清らかで純粋で。ちょっと意志薄弱で世間知らず』でイケメンなんだと思うんだ。セリフからその気配がビシビシ感じられるんだ。
そしてこの話、互いに話す順番が逆だったらとんでもないことになってたと思うんだ。だからきっと、これは莉真ちゃんが先に悠一郎くんに話すように促したと思うんだ。そこらへんも、黒いが故に(笑)

……つーか、何より何だ。本当迷惑ですな、『王子』の呪い。これへのツッコミが一番ウケましたとも。頑張れ莉真ちゃん、そして悠一郎くんは……多分、御愁傷様(笑)
あー、楽しかった。




F10  ひとつの道からはじまる

一人称の中に()を使ってさらにモノローグ。
アクロバットなことをするなーと思っていたら、構成もなかなかアクロバットだった(貶してません、念のため)。
回顧に回顧を重ねた構造。
一人称から三人称に切り替わって別人(主人公が拾った少女)のエピソードが入り、そこまでは視点と時系列が変わるタイミングを「記号での区切り」で明示していたのに、その少女のエピソードだけは長めの空白を取って区切り、そこからダイレクトに主人公のモノローグにつなげている。さらにラスト直前の文中には、作中の時系列的に最も“未来”であろう視点が――『数年後美しく成長した少女が思い出してこう語っている』と、入ってくる。ここで、偶然に出会った両親を魔物に殺された娘と、ママをおそらく愛人、もしくは人買に殺された娘が作り上げた未来が明るい模様を示し、そして空白を挟んで語りの視点が再び回顧(基準となっている時系列)に戻り、彼女らが向かうであろう“未来”への明るい陽射しを象徴的に演出して終わる。うわ、文字だけだと読み返してみて自分でも何を言っているのか分かり難い(大汗

正直、これは相当に読者の理解に頼る造りだと思う。しかし一方で、この造りは何とも独特な雰囲気を作っている。なんて言うのかな……言い方は悪いけど、部分的に走馬灯的というか――その主人公の頭の中で再生される記憶の中にひょいっと放り込まれたような印象。……んん、ちょっと面白い効果だぞ(←ここに興味を引かれるのは、きっと頭で考えるタイプの物書きの性質)。
例えばこれを、この母子がいかにして“本当の母子”となったか、を語る作品のプロローグなんかにしたら「読後にプロローグが響く」という効果も得られそう。逆に言うと、これ単体だとちょっと弱いかな。色々と――例えば両親が死んでからの生活はどうしている、とか、『あれからずっと、《愛》というものが怖かったのだ』というからにはそこからの回復があったと見受けられるけど(そしてそれを手助けしたのが拾った少女だと予測できるけど)、それは描かれていない――など、端折られているところがあるから、その辺まで読者の想像に頼っちゃっているから。
二人ともなかなか壮絶な過去を持っているから、この二人が“母子”になるまではきっとそれなりに壮絶な問題が起こるでしょう。何しろ出会い時点では「ママ」に不信を抱く子と、「愛」が怖い母ですから。結びの『―――いつも光に満ちあふれた朝はその日から少しずつ変化していた。』というのも、そこへの暗雲を予見させるし。その道程を丁寧に描いたら、凄いヒューマンドラマになりそうだ……。
でも、最後の最後には空晴れ渡り幸せな未来に辿り着くんでしょうね。つーか、そうであってほしいなぁ。


※「―――」と三点リードを「…」で使う方ってどこかで見たような……と思ってたら、いらっしゃった。どちらか片方ならフェイクを疑うけど、二つはないでしょう。インデントなしも見受けられるし。と、いうわけでこの作品は翠野ゆいらさんだと思うんだ。




F11  あわい物語

なるほど、『あわい』。淡く消散したその記憶と、間の物語ですか。ダブルミーイング。

なんともコツコツと心を削ってくるような話。幼いながらの罪、とでもいうか、まだ思慮が足りないが故に起こした過ち、というか……今なら間違っていたと断じれて、思い返せば悶えるしかない記憶をコツコツ掘り返されるのが、きつい。同様の過ちでなくとも、類似することを思い出させられてなんか、きつい。どれもこれも幼い頃には誰もが類似するものを(程度の差はあれ)経験していてもおかしくないし、きっと作者さんもそれを狙っていたのでしょう。悶絶するわー。ああ、ごめんよ蟻地獄さん。君たちを蟻の巣に入れれば蟻の巣壊滅大作戦! なんて、僕が浅はかだったよ。
そしてそういう“罪”を指摘されながら歩く道の白さがこたえる。白はもちろん、罪の無さを象徴してもいるのでしょう。その白が燃えて消える。消えれば罪の黒に落とされる――死の象徴でもある黒の中へ。
分岐する道、そのどちらに行けば助かるのかが分からないのも不安を煽るが、それよりも、先に進んでいって、果たしてこの先にも分岐があるのか? という疑問を抱くとさらに不安になる。つまり分岐しているのではなく、燃えるか残るかの選択しかない一本道だったら。もし最後は選ぶことも出来ず審判に掛けられるしかないのなら、いっそこんな一つ一つの罪を炙り出してコツコツ痛めつけるのではなく、ばっさりとやってほしい。だから節の末尾にくる『先へ』という子供の繰り返しが憎らしく、かつ、恐ろしい。もしかしたら、くり返す度に重たくなる足が、道が耐えられる荷重を超えれば、その時こそ「死」なのかとも思う。となるとやっぱり『先へ』のセリフに、ゾッとさせられる。
だから、『基本的に、自分が決めた行動を、制止させられたり、邪魔されたりするのが大嫌いな』と描写される主人公……きっと我の強い小学四年生だと思われる義希くんが、最初は強気も感じさせていたのに、三つ目の分岐ともなれば言われるがままに任せてしまうのがよくよく分かる。が、与えられ続けたプレッシャーから逃れんがために見苦しく喚いたりしてもおかしくないのに(ただ気力が萎えているだけという可能性もあるけれど)、殊勝に道連れの言葉を待つのは基本的に「良い子」だからか。
と、思ったところで、急転、話が動く。
ああ、やっぱり良い子だった。猫を助けなさったか。そうかあ、さては作者さん、猫好きだな?(←違)

にしても、ちょっと驚いたのはラストのエピローグ。
何が驚いたって、『超絶美形』という形容。これ、僕にはここまでの文章からしたら全くそぐわない言葉の選択だと思えたのですよ。
……いや、んー……何と言いますか、この言葉と、アラサーとか、そこまではどちらかというといかめしくかっちりした文章だったのに急に砕けた口振りになった、と言うか。もちろん『死神』自身のキャラも砕かせてきたから、雰囲気合わせとしてはそうなんだけど……何と言いますか、そう、これは結構作者さんの“地”なんじゃないかな? と。
『死神』と一緒に、それまで覆面を被っていた作者さんが、急に素顔を覗かせてみせて、幕を引いた――そんな風に思われたのですよ。

どうでしょう?


※読点の使い方から、たつみさんだと思うんだ。




F12  誰そ彼は

このブロックは“何か”に囚われた話が多目かな。


まるで“だまし絵”を見ているような話でした。
最初はね。ああ、そういう先生の話、聞くなーって思ってたんですよ。自分の決めたことに従わないのは否定、っていうの。『空が赤いわけない』というのは、もちろん夕焼けの色は知っているけど、その先生がイメージする「今、生徒が描く絵の空は赤くない――自分が青と指定したのだからそれ以外の空の色はあってはならない」っていう了見なんだろうけど、まぁその狭い了見はどうかと思うよー、なんて、呑気に。
で、次に文化祭のテーマが『空』で、以来赤い空を……過去に見た夕焼けを再現したくて描き続けているなんて、なかなかの執念、と呑気に読み続けていたんですよ。
でも、何だか急に話の行方がきな臭くなってくる。主人公の前に現れた顔の見えない男子。急に主人公は頭痛を訴える。主人公の描く『だまし絵みたいな絵』を前に繰り広げられる微妙な噛み合わなさ。異変が起こっているのはこちらも分かるんだけど、この“覆面作家企画”に前回も参加していた身ならば特にやられるであろう「テーマは去年が『空』で、今年は『道』」という遊び心満載の設定。ニヤリ。しかし異変を感じながら別のところでニヤリとさせられて、どこか煙に撒かれたよう。異変を感じて話を読み解こうとする心と、遊び心にやられてニヤリとする心の間でどっちを取ればいいのか落ち着かない中、どんどんと進んでいく話。
血。
通り魔。
明かされる真実。
そして先に出されていた伏線に気づき、そして『だまし絵みたいな絵』の中で死してなお思い出の赤い空を描き続ける主人公の想いに、痺れる。痺れて、哀れに思う。
彼女はその世界を『愛すべき、私の世界』と言っているけれど、それはただの妄執にしか思えないよ。そしてそれは、きっと彼女も薄々心のどこかでは理解しているんでしょう。それは『不毛な作業だ』とも述べる最後の段からも窺える。
だから、空白の後に余韻を残す一文が、哀しい。

そして、哀しいのに、読後は何とも言えない不可思議さ。
そう、やっぱりね、まるで“だまし絵”を見ているよう。
どこを見ればいいのか。全体を見て違和感を覚えて、見方を変えると別の絵になって「おお!」と思い、しかし元の絵にも視点は戻って……やられてます。ええ、僕、作者さんの思惑に思いっきりやられてますとも。

ところで、ふと思ったんですが。
まさか作者さん、去年は残念ながら参加できなかったんだ! っていう心の叫びをこめられたんじゃないでしょうね?


※あ、まさに意気込みで『3は残念ながら参加はできませんでした』っておっしゃってる方が。ってことは、この作品の作者さんは、楠 瑞稀さんだ!

投稿者 楽遊 : 2009年08月27日 22:20

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